海路 2 音戸の瀬戸
2012年 11月 19日
タイムマシンの都合で、まずは音戸の瀬戸に向かうこととする。
清盛が開削したという音戸の瀬戸。
今回の旅の目的地の一つ。
遠くに赤い橋が見え始めると、「ぞくぞく致します」←平清盛を見てる人にはわかるはず(^^;)
3
今は音戸大橋は2本架かっている。
想像通り、狭い瀬戸だ。狭いけれど多くの船が通る重要な航路となっている。
二本の橋をくぐる。橋だけでなく、岸も忘れずに見る。
3-1
4
橋の右手元に見えるのは「清盛塚」1184年に建立 。お墓ではなく、供養塔。
心の中で手を合わせる。
5-1
5
ここを通過するときは、船内アナウンスで詳しく音戸の瀬戸の歴史を説明してくれた。
しかし、観光で乗船している人は居るのだろうか?写真を撮る人もおらず、船の甲板に出る人も私ともう一人のおじさんだけだった。
実際に目で見て思ったが、ここを通らずに島を迂回するのは、相当な遠回りだということがわかった。
かつては潮が引くと大船の航行は不可能と言われていたここを、深く広く開削した清盛は正しかった。ごめんなさい。
3階のデッキから、ずっと振り返って見る。見えなくなるまでずっと見ていようと思った。
が、いつまでも見えているので、少し困った。
6
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清盛が開削したという音戸の瀬戸。
今回の旅の目的地の一つ。
遠くに赤い橋が見え始めると、「ぞくぞく致します」←平清盛を見てる人にはわかるはず(^^;)
今は音戸大橋は2本架かっている。
想像通り、狭い瀬戸だ。狭いけれど多くの船が通る重要な航路となっている。
二本の橋をくぐる。橋だけでなく、岸も忘れずに見る。
橋の右手元に見えるのは「清盛塚」1184年に建立 。お墓ではなく、供養塔。
心の中で手を合わせる。
ここを通過するときは、船内アナウンスで詳しく音戸の瀬戸の歴史を説明してくれた。
しかし、観光で乗船している人は居るのだろうか?写真を撮る人もおらず、船の甲板に出る人も私ともう一人のおじさんだけだった。
実際に目で見て思ったが、ここを通らずに島を迂回するのは、相当な遠回りだということがわかった。
かつては潮が引くと大船の航行は不可能と言われていたここを、深く広く開削した清盛は正しかった。ごめんなさい。
3階のデッキから、ずっと振り返って見る。見えなくなるまでずっと見ていようと思った。
が、いつまでも見えているので、少し困った。
by i-meisui
| 2012-11-19 00:07
| 一人旅